心ゆくまで寝る仕事

 

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 十二年前、僕たち夫婦とあんこは里親会で出会った。

 

 

 吠えない、甘えない、散歩しないという、なんともぼんやりしたミニチュアダックスの女の子。保護されるまでは繁殖犬で、たくさん子どもを産まされてきたらしい。推定年齢は三才とのこと。

 


 そんな心ここにあらずな犬が、なぜかジョウガサキさん(妻)にはすり寄ってきた。本当にいまでも謎だけれど、まあこれも縁かと連れ帰ることに。

 


 家の中でも相変わらずぼんやりしていたので、アンニュイから取ってアンと命名。でもその名前で呼んでいたのは最初の一ヶ月だけ。

 

 

 新生活に慣れてくると、アンはアンニュイというよりぽけーとした表情になってきたので、呼び方も「あんこ」と脱力していった。

 


 二ヶ月もするとそれなりに甘えるようになった。目の前で転がって腹を撫でろと要求したり、僕があぐらをかいてると足の間に入ってきたり。表情はちっとも嬉しそうじゃないのに尻尾だけはパタパタ振る。ういやつ。

 


 ただ、全然吠えないのがちょっと気になった。ひょっとしたら声帯取られちゃってるのかな、なんて思ったけれど、うっかり尻尾をふんづけたときに「ぃぉなずん!」と鳴いたので、単にものしずかな犬、もしくはムーンブルクの王女だった模様。お詫びの骨ガムを上げながら、僕はちょっと嬉しかった。

 


 そんな感じで半年経つと、あんこはいよいよ本領を発揮し始めた。我が家は共働きだからどうしても留守番が長くなるけれど、その間にあんこは家中のものを食いつくす。

 

 

 オリーブオイルと塩。犬には毒なチョコレート。僕が箱買いしていた金ちゃんヌードルを三つ。二十四時間の救急病院に何度行ったかわからない。

 


 でも本人はいつも通りぽけーとしていて、病院の先生も笑ってた。「胃腸が丈夫なんですね」なんて。僕たちは笑い事じゃない。収納にチャイルドガードつけても突破される。部屋にゴミ箱も置けない。普段はおとなしく寝ているだけなのに、なぜ留守番中にヒャッハーするのか。

 


 ためしに出かけたふりをして玄関で聞き耳立てていたら、あんこがくーんくーんと切なげに鳴き始めた。どうも寂しかったらしい。一緒にいても寝ているだけなのにねと、夫婦でちょっと申し訳ない気持ちに。

 


 それからはなるべくあんこと一緒にいるようにした。出かけるときは交代で。夫婦で外食するときは近場で。ゆくゆくは二人とも家でできる仕事したいね、なんて言いながら。

 

 

 そのかいがあったのか、あんこが暴徒化することは少なくなった。単にゴミ箱を引き出し型にしたせいかもしれないけれど。

 


 そんな風にして、僕たちはくーすか眠るあんこをただ見守っていた。昨日と今日、そして明日も変わらない安穏とした日常が、十年過ぎた。

 


 あんこは十三歳になった。人間の歳に換算すれば結構なおばあちゃんだけれど、相変わらずぽけーとしていて、子どもの頃と変わらない顔。

 


 変化はむしろ僕たちのほうにあった。結婚十年目にしてジョウガサキさんが妊娠。子どもが生まれる準備にてんやわんやして、出産後は引っ越しやら保活でわたわたして、あっという間に一年半が過ぎた。

 


 その間、あんこはやっぱり寝ていた。長男がハイハイするようになると、迷惑そうな顔をしながら隅っこに移動して寝てた。そのくせ僕がトイレに入っている間に子どもが泣くと、「なんか泣いてるけど」と、ほんのちょっとだけ心配そうな顔で呼びにくる。

 


 それまで僕たちには子どもがいなかったけれど、別にあんこを娘のようには思っていなかった。僕からすればジョウガサキさんもあんこも同居人で、あんこも同じように思っていたと思う。だから自分が腹を撫でられる回数が減っても、あんこが子どもに嫉妬することはなかった。

 


 夫婦と子どもと犬一匹。新しい平穏な日常がまたいつまでも続く、とはいかない。だって十年だもの。覚悟はしてた。

 


 ミニチュアダックスの平均寿命は15年。あんこも年相応に、体のあちこちににガタがきはじめてる。川崎から東京都下に引っ越してきたので、あんこの病院まで月に二回、電車で二時間かけて通ってた。でもこれくらいはまだ楽。

 

 

 しんどくなり始めたのは、あれだけ丈夫だったあんこの胃腸がやられてから。なにを食べてもうまく消化できず、下痢になる。本人もコントロールできないようで、家はあっという間に糞尿まみれになった。ハイハイ児を抱える我が家では深刻な問題。

 


 解決策としてあんこにおむつをはかせるようになった。ペット用のものは尻尾の位置が合わないので、子どものおむつに穴を開けて手作り。ひとまずダダ漏れはなくなったけれど、下痢なのでおむつを変えるだけじゃなくて毎度洗わなきゃいけない。

 


 その数、一日十回以上。僕はいわゆる兼業作家なので、普通に会社に行って帰ってきてから朝の五時まで小説を書く。で、明け方に寝ようと思ったらつーんと下痢の臭いが漂ってきて、意識朦朧としたままあんこを風呂に入れる。正直しんどい。

 


 でもまあなんとかやっていた。僕たち夫婦には「あんこのお世話をさせていただいている」という意識があったから。だって僕ら以上に裕福な家にもらわれる可能性だってあったのに、わざわざ無理を言ってうちにきてもらったんだから。

 

 

 なんつってね。本当はそんなこと全然思ってなくって、単にあんこがかわいいから。

 

 

 かわいいんだ、うちの子。寝ている姿を見るだけでうふふと笑っちゃうし、柔らかい毛に触れればストレスも雲散する。僕たちは犬の奴隷だった。

 


 てな具合にひーひーうふふとあんこの世話を続けていたけれど、胃腸の次には目、次いで歯が悪くなった。食欲が衰えて、いよいよ脚にきて歩けなくなる。

 

 

 僕はネットで犬用車椅子の情報を調べた。僕たちの覚悟はできていたから、あとはいかにあんこが快適に過ごせるか。僕たちはそうやって先を見ていたけれど、時間は無慈悲だった。

 


 ある晩、僕はあんこに噛まれた。十二年の暮らしで初めてのこと。僕もびっくりしたけれど、あんこもショックを受けていたように見えた。

 

 

 それから数日して、あんこがぐったり動かなくなった。呼吸が荒い。二時間かけて川崎の病院へ向かう。

 

 

 もう自発呼吸がほとんどできず、手の施しようがない段階。家族で看取ってあげるのが一番だと先生が勧めてくれ、僕たちはまた二時間かけて家へと帰る。

 


 帰宅して、右から長男、ジョウガサキさん、あんこがベッドで川の字で眠り、僕は床からあんこの尻を見上げるという変則的な形で横になった。

 

 

 手を伸ばしてあんこの尻を撫でる。あたたかかった。ふわふわだった。腹に顔をうずめたり、自分の腹に乗せたりしたかったけど我慢する。

 


 深夜にちょっとうとうとした頃、あんこは呼吸を止めた。

 

 

 三分くらいだまって体を撫で、その後は夫婦で「お疲れさま」とねぎらった。

 


 なんて文字にすると淡泊だけれど、本当は、「もっと生きたかったかな?」とか、「息子がようやく認識したのに」とか、詮ない言葉が涙と一緒にぼろぼろこぼれた。

 

 

 だってどう見ても眠っているようにしか見えないんだ。寝てばかりの犬だったから、いつもと変わらないように思えたんだ。本当に、ひょいと起き上がって水でも飲みにいきそうな、いつものあんこだったんだ。

 


 葬儀が済んでからも、ジョウガサキさんは一週間くらい泣いていた。それはもう、この世の終わりかってくらいに叫んでた。息子の世話はきちんとしていたけれど、いつでも目を赤く腫らして、あんこあんこと悲嘆に暮れていた。

 


 かたやの僕はぼーっとしていた。視界の中にあんこがいない。探す。「あっ、そうだ」ということを一週間くらいずっと繰り返してた。鳴かない犬だったのに、いなくなるとなぜか家の中が静かに感じる。

 


 それでもまあ、ライフはゴーズオンというやつで。子どもの保育園が決まったとか、ジョウガサキさんの育休が終わったとか、僕が本を出すための準備だとかで、毎日は慌ただしく過ぎていく。

 


 ただ、いまでもあんこのことはしょっちゅう思い出す。それは毎朝遺影に手を合わせてるときじゃなくって、キッチンでタマネギをみじん切りにしていて、かけらを床に落とした瞬間とか。昔は慌てて拾ってたんだよなあとしみじみ。

 

 

 そういうときはいつも、「あんこは幸せだったのかなあ」と無意味な自問をしてしまう。それなりにがんばったつもりではいるから、脳内で「まあまあ幸せだったワン」とか言わせちゃうけれど、それでもやっぱり考えてしまう。

 

 

 僕たち家族は、あんこと出会えて本当に幸せだったから。

 


 


 昔から日記を読んでくれているみなさまへ。

 

 

 今年の二月にあんこは心ゆくまで寝る仕事につきました。諸事情により報告が遅くなってしまったことをお詫び申し上げます。

 


 トップの遺影はあんこが眠る数ヶ月前に撮影したものです。散歩嫌いの犬なのに、この日は長男ともよく遊んでくれました(渋々顔で)。